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 ( 仙台市青葉区、学習塾 蝉林舎 ぜんりんしゃ 6人ゼミ )

 時折、当会の新聞折込み広告やホームページを見て、ご父母が真剣に質問や相談に来られます。
教育産業のイメージ宣伝が蔓延する中、そんな方々に出会うと 本当に勇気づけられます。
 学力低下 (=勉強の受動化・商品化) や ゆとり教育について触れるには、実際には多くのタブーがあります。
 ご参考までに、初版のトップページの文面を残しました・・・・。





↑ 蝉林館の名前のもとになった けやきです。



↑ ぜんりんしゃは2階



↑ 新型コロナ以前の西ゼミ室。



↑ 新型コロナ以前の東ゼミ室。



↑ 茂みの中にヒヨドリの巣がありました。


言葉の復権、ほんとの勉強!

勉強は 長い 孤独な 航海。
大切なのは、進んで 舵取りして行ける 勇敢な知性を育てること。

でも ほとんどの人が
「何かに引っ張ってもらおう」 と塾を訪ねて来ます。

そんな 「塾っ子」 になってしまったらおしまい。
かつてのような、考えるのが好きな子のための
本格的なゼミをもう一度 !



 以前の高度な内容の教科書と今のものを開いて見比べると、あまりの違いに息をのみます。学校が変わり、子供が変わり ・・・ そして お母さんたちが変わりました。

 ひと昔前 お母さんたちは、我が子を自立させようと きまって「鍛えて下さい」と訪ねて来られたものです。 今、せっかく あれもこれも自分でできるように育て上げたお母さんの多くが、その成果を捨て去るように 「あれもこれもしてもらいに」 塾を訪ねて来られます。 スーパーのチラシと見まちがえて、点数や合格を買いに来られるかのようです。 「あれもしてもらいなさい」 「これもしてもらいなさい」 「宿題も出してもらいなさい」 「勉強方法も教えてもらいなさい」 「模擬テストも・・・」。

 模擬テストは、入試本番のように、会場の多くの見ず知らずの人の中へ 一人で緊張して受けに行かせるのが一番。 子供の温室栽培は 逆に芽を摘んでしまいます。


 J.Healy の衝撃的な "Endangered Minds" (邦題「滅びゆく思考力」)が出版されたのは1990年。後年、国内で話題になる「ゆとり、反ゆとり」のサイクルをはるかに超えた 深刻な学力低下の始まりです。

 噛まなくても甘さが直接飛び込んでくる 「缶ジュース文化」。考えない子にも分からせてくれる 「塾文化」。言葉の作業なしでも 直接イメージが飛び込んでくる便利な 「画面文化」。
・・・お金を払えば「あれも これもしてくれる消費文化」 こそ学力低下の本当の原因だと思えます。噛む力と同じように、考える力も、そして考えを進める言葉の力も 衰えるのはあたりまえ。逆に 中毒やそのリハビリが心配です。

 もともと勉強や研究は 受動的な消費文化とは正反対のもの。 子供を高価な 答え合わせ講習会や 作文授業に送り込んで安心する位なら 岩波少年文庫の四、五冊も選ばせたほうが 現実には はるかに効果的で有意義です。 応用問題が分からないと言って塾を訪れる子供の多くは、実は、少年文庫の一冊さえもて余してしまいます。 そもそも問題文を読み取ることが大変なのです。 改訂を重ね とうとう絵本商品になってしまった最近の教科書や、至れり尽くせりの 「分かりやすい」 映像教材や書き込み式教材で育ってしまっているのです。・・・・・

 至れり尽くせりは 教育というより飼育の論理。 読書力と内面性が育たないままでの勉強は、分かりたいと想う感性が退化して ただ時間とお金が流れて行きます。 将来 本格的な勉強や研究を志して進学するのなら、今のうち一冊でも多く まともな本を読んでおかなければ それこそ参考書も研究書も もて余して 「アウト」。 学力低下に悩む多くの高校生や大学生の例を待つまでもなく、誰かや 何かに引っ張られ続けていると 上の学校へ進むにつれ 自力では動けない重いリアカーになってしまいます。


 考えることが好きなのか、考えないことが好きなのか。
 考えるのが好きな子は どんどん失敗と工夫を重ねて自然に勉強方法を身につけて行きます。
 考えないのが好きな子は 「勉強方法が分からない」と錯覚し、それを探してお金を払い続けます。
 どちらの子に育ちつつあるかは子育ての核心。 自分で進むのが好きな子か − 誰かに進めてもらうのが好きな子か。 工夫するのが好きな子か − 誰かの工夫にまかせるのが好きな子か。 遊びが好きな子か − 娯楽が好きな子か。 ・・・・

 根っこが水を吸うのと 葉っぱに水スプレーをかけてもらうのとではまったく違います。 「よく学び よく遊べ」 が子育ての鉄則。自分で遊べなかった子は 自分で勉強することも苦手です。 大人が作った 部活とテレビ(体育と芸能)漬けの生活から 少しは離れて、より能動的・内面的な経験をさせて行かなければ 本当の学力などつくことはないでしょう。


 かつて 中1の春 最初に勉強した 「集合と整数」 は、ほとんどそのままの内容で 今や高校生が勉強しています。 ・・・・なぜ昔の勉強は高度だったのでしょう。
 中学生でも 参考書による勉強 (すなわち読書) があたりまえだったのです。 そして考えるのが好きな子は、さらに充実した場を求めてゼミ (対話・討論授業) に集まってきました。 塾はもともと 「引っ張ってもらう所」 ではありません。 勉強は、一人 そしてごく少人数で言葉の世界に没頭する訓練。 手を上げなければ発言できないような授業が勉強と言えるでしょうか。 文字言語であれ音声言語であれ、「言葉」の力で目隠しをはずし、中身の濃さと内容の深さに直面することによって 能動的な本当の勉強が始まるのです。

 早くから対話・討論授業に慣れて 表現する生徒ほど、著しい学力の向上と成長がみられます。 将来に向けて どれだけ(あれもこれも!)自力でできる範囲や教科を広げて行けるか。長年、依存性・受動性の克服を模索してきた経験から、あらためて本来の、言葉のやりとりが主導する 本当の授業を提供します。
 低学年のうちは一冊でも多く読書を! 自立し始める小学上級が最良の入会のタイミングです。



 以上、初版のトップページから。
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