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散歩 学区の樹木めぐり その10 【 かくれ里 】 PC版 12月初旬 (蝉林館 ぜんりんかん) 《 ぜひ パソコンの大画面でご覧下さい 》 |
(1)ここは秘密の散歩コース。誰にも教えてはいけません! 入口は 交通の頻繁な街の中。ここはこの石段だけなので なかなか見つからないかも知れません。・・・いずれ古代や中世の歴史を勉強すれば謎の深さが分かります。 ↓ |
(2)初めてここを訪れたのは30年以上も前。藪をかき分けかき分け、汗を拭き拭きして細い石段を登った記憶があります。 ↓ |
(3)石段は もっと古くて粗末でした。鳥居なんてあったかなぁ・・・・ ↓ |
(4)あったとしても こんなにモダンだったあずはありません。 ↓ |
(5)登りきると、古い神社の境内(けいだい)に出ます。 ↓ |
(6)正面は 大きめの賽銭箱を置いた拝殿。菊の紋様が目立ちますね。 と、話がここまでなら 鐘を鳴らしてお賽銭を投げ込んで もとの石段を下りておしまい。 ↓ |
(7)でも 初めて来たとき、境内や 隣接する人家を見渡して、ふと妙な気持ちになりました。厭(いや)な気分というのではなく、急に気持ちが安らかになり、誰かに招かれてたどり着いたかのような気分でした。 ↓ |
(8)時を経て 周囲の景色が今風になっても、歴史散歩に慣れた人ならば 何か普通とは違った気持ちになることでしょう。 ↓ |
(9)小さな神社と言っても 背後の欅も見事。 ↓ |
(10)裏には本殿も控えています。 ↓ |
(11)左(西)には これまた古い大きな神楽殿。 ↓) |
(12)同じく左(西)側。これが 後述する肝心の社(やしろ)。(前の写真の右側に写っているもの。) ↓ |
(13)さらに北西の角にも・・・・。(前の写真の右側に写っているもの。) 背後の高い木がポイントで、先程の写真9、10の欅とはまったく違います。詳しくは後半で。 ↓ |
(14)右(東)を見ると 今は境内の向こうに今風の人家や保育園が並んでいますが、昔はまったく違って 畑や 背の低い民家が混在していました。たった数分前に 自動車が行き交う表通りから登って来たばかりとは到底思えない、安堵と落ち着いた雰囲気の、そこだけで総てが充足しているような、まるで 外(ほか)との行き来を絶っているかのような「かくれ里」の風情でした。 ↓ |
(15)「おっ、ここは桃花源(桃源郷)か!」 思わず 時と場所の感覚が失われたことをはっきり覚えています。 ↓ |
(16)そして、このまま無断で この「かくれ里」を歩きまわって良いものか、どこかで心素直な異邦の人びと出会うのではないか と心が縮んでしまったほどです。 ↓ |
(17)さらに進むと こんな板倉にも出会います。 ↓ |
(18)作物の備蓄用か。それほど古い建物ではないようですが、中世の勉強が進めば「村」の在り方を実際に感じ取る貴重な風景です。 ↓ |
(19)裏山。生活の根幹である「水」について考えれば、里山にも似た貴重な配置です。 ↓ |
(20)さて もとの神社境内に戻ると、北の方角は登り坂になっていて その上に大きな丸木の門が見えます。 ↓ |
(21)なにやら 昔の名主(庄屋)さんのようにも見えます。 ↓ |
(22)さらに登ると、かなりしっかりした門だと分かります。ここにも大きな板倉が見えます。 ↓ |
(23)門の内に白い土蔵が見えます。門の両側の竹林も立派です。 ↓ |
(24)かなり大きなお屋敷です。 ↓ |
(25)右側の門柱の根元に 何か丸い飾り瓦のようなものが立て掛けてありました。これも後述するようにこの土地のポイントです。ここから先は入るのは遠慮しましょう。 ↓ |
(26)引き返すと あらためて門の両側の木立が見事です。 ↓ |
(27)前の写真と同様 仰ぎ見るようにそそり立った竹林は壮観です。その下で、午前中 隣の保育園の園児たちと保母さんが よく日向ぼっこをしています。こんな所で静かに過ごせるなんて うらやましいですね。 ↓ |
(28)右(東)に出て、先程の写真16のつづきです。 ↓ |
(29)さらに東に進むと 上方(北方)に白壁が見えて来ます。 ↓ |
(30)ここも 先程のお屋敷への もう一つの登り口。 ↓ |
(31)白壁に沿った道をさらに登ると また別の門が見えて来ます。 ↓ |
(32)こちらが正門なのでしょうか。 ↓ |
(33)秋には柿の木が光って とても綺麗なのだそうです。竹林の下は「たけのこ」が沢山とれるとのこと ↓ |
(34)この東側の門は造りそのものが立派です。装飾的にというより実質的に立派です。農家の重みがあります。やはり名主(庄屋)さんか何かだったのでしょう。 ↓ |
(35)門の下の畑道を戻ります。 ↓ |
(36)庄屋さんといえば、その実感がわかる良い本を紹介しましょう。(郷 静子 著「草莽(そうもう)」まほろば書房)。大人向きの本なので《蝉林舎の本棚》のページでは紹介していませんが 中学生でも読めます。拾われた女の子が庄屋さんで成長してゆく とても印象的な小説です。あの「れくいえむ」の郷 静子です。 ↓ |
(37)さて また神社に戻って、今度は重要な話。よくよく考えるとこの神社は あの名高い塩釜神社と配置がそっくり。敢て東側のなだらかな坂道を避けて、北に向かって登る急な階段をつけ その正面に拝殿・本殿を置いたもの。 私見だが、本来は 朝日を迎える 東向きの東西軸の神社だったのではなかろうか? 日本古来の太陽信仰なのではないだろうか? 或る力によって無理やり南向きの南北軸になって、不自然な北極星信仰に変えられたのではないか。(「天子南面す」で ここから先はタブー。)だから境内の西側にあるこの社が(あるいはこの場所が)中心なのではなかろうか。 ↓ |
(38)そのように見ると、背後の高い木にも納得がいく。高木信仰については吉野裕子の本に詳しいので、古代史に興味が湧いてきたらぜひ読んでみよう。境内にある石碑に「村社新築・・・明治三十二年・・・・・」と読み取れるが その頃までには既に現在の配置になっていたのだろう。 ↓ |
(39)鳥居の脇の柱にも表示されているとおり、今まで歩いて来たこの丘陵全体は 実は瓦の焼き窯の古代遺跡。ここから多賀城や塩釜神社などへ瓦を運んだらしい。これも謎めいて面白い話がいっぱい。さらに 日本の中世の農村で このような神社がどんな役目を持っていたのか、これも凄く面白い。(歴史を旅する絵本「戦国時代の村の生活」勝俣鎮夫・宮下 実 岩波書店) ↓ |
(あとがき) 先日 散歩中の地元の方(かた)に いろいろお聞きしました。当地に50年ほどお住いなのだそうです。写真33の上に書いた柿や竹の子の話をはじめ、四季それぞれの花が素晴らしいとのことでした。50年経つと花の種類も変わってゆくのだそうです。そこまで感じ取れるようになるのですね。きっと 何事も、「変わらないもの」を掴むほどに 自分が流されず 逆に周りの流れが見えるようになるのでしょう。 ところで、この かくれ里がどこか分かりましたか。分かっても誰にも教えてはいけません。物見(ものみ)の人が増えると 静かに風情を味わって生活している人たちが困りそうです。 《高松編》にも書いたとおり、台原から東へ 東照宮やこの辺り 更には東仙台 雲山寺 小鶴城址へと延びる丘陵地帯は 散策には絶好の場所です・・・ただし、絶えず人びとの生活とその歴史を考えながらの散策です。(2024-1) |
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