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「その10、かくれ里」
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散歩 学区の樹木めぐり その5 【台原と五城中】 PC版 10月下旬 (学習塾 蝉林舎 ぜんりんしゃ)
写真は 576×432pix と 1200×900pix 。
旧地名を付けました。それぞれ その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。
五城中については 1980年代のスライドフィルムを80枚ほど保存してあります。後日デジタル化します。


写真01
(1) 梅田町から五城中を望みます。何十年も変わらない 「けやき林の並み立てる・・・青葉の香り 息吹して・・・」(校歌) の景色です。
 》 写真02
(2) 西門(正門)への踏切を左に曲がったところ。道路のすぐ向こうが仙山線。


写真03
(3) 線路は右手の白い建物の手前。 昔 仙山線は、仙台の次は北仙台。次は落合・愛子・・・。もっぱら長距離の旅客用で あとはものすごく長い貨物列車がゴトンゴトン・・・。旅客列車は1時間に1本ぐらいでした。
 》 写真04
(4) 右を向いて さっきの踏切。青いフェンスの所はプールで、昔は2階建ての校舎が建っていました。ある美術の先生は 汽車の音が聞こえてくるたびに授業を中断して 「汽車 見ろ!」 と叫んでくれました。写真のような近さです。手を振ると旅客の人たちも手を振ってくれたので 生徒は興奮しました。 「何か言ってたぞ!」 「弁当 食ってたぞ!」


写真05
(5) ここは手前から2本、向こう側から3本道路が集まっています。
 》 写真06
(6) 踏切を渡って右(東)を見たところ。画面左は昔は 《平林》 といいました。


写真07
(7) 昔は営林署がここにあって、実験林があり、上品な赤レンガの炭焼き小屋までありました。
 》 写真08
(8) きれいな材木のサンプルが積んであったり、テニスコートもあって 避暑地の一コマといった風情でした。ちなみにテニスコートは使わせて貰ったものの、でこぼこで大変でした。


写真09
(9) 五城中の校庭に下りてゆくところ。
 》 写真10
(10) 昔はフェンスなど無かったので、ここを登って 「山学校=やまがっこ」(サボって抜け出すこと)する子もいました


写真11
(11) 冒頭に書いたように「大昔」のスライドフィルムが沢山あります。
 》 写真12
(12) デジタル化したら 比べてみて下さい。


写真13
(13) 昔は巨木が沢山生えていて、雷が落ちると 雷鳴と木造校舎のガラスの共鳴音と生徒の悲鳴とで大迫力の様相でした。
 》 写真14
(14) 先程の踏切から 今度は左に曲がったところ。 台原への入口。


写真15
(15) 道路の左側の旧地名は 《杉添・すぎぞえ》。 けやきの脇役で 杉が生えていたのかもしれません・・・?
 》 写真16
(16) 写真で見るよりはるかに威圧感があります。


写真17
(17)この写真は 1200×900 pix

写真18
(18) 林はここまで。 引返したところ。
 》 写真19
(19) さっき通った五城中が 画面の右下にみえます。


写真20
(20) 先程の三叉路。 これほどの大きさになると、紅葉直前でも 風格があって見事ですね。台原は林が多いのですが、多くは 今は「東照宮地区」に組み込まれているようです。
 》 写真21
(21) その東照宮地区は 別編で。


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