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散歩 学区の樹木めぐり その4【福沢町と福沢神社】 PC版 11月初旬 (蝉林館 ぜんりんかん) 旧地名を付けました。それぞれ その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。 |
(1) 左のビルは「カール」さん。右は「中江郵便局」さん。ここは梅田川の上。橋の上にも木が・・・。 |
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(2) 北の方角。梅田川沿いに木が並んでいます。左側は《福沢前》、右側は《十文字西・じゅうもんじ にし》。 |
(3) 昔、川の「中州」に養豚小屋があり、毎日 台所の食材の残りを集めに来ていました。右の市民センターの所は大きな材木屋さんでした。 |
》 | (4) その材木屋さんで 数回 火事があり、豚がピーピーブーブー鳴いて逃げました。豚は結構大きくて怖く、人も逃げました。 |
(5) この辺りは 昔の仙台沖地震のあと 護岸工事をして広い道が出来ました。フェンスの向こうは梅田川です。 |
》 | (6) それ以前は、手前側にあった「たんぼ」から水が沢山あふれて 川に流れ落ちていました。道は ぐちゃぐちゃ。 |
》 | (8) 木の向こう側が梅田川。その向こう やや右に見えるのは どっしりした「立正佼成会」さん。 |
(9) この建物はこの場所の2代目。新築の時は 白いきれいなお宅でした。今はまた とてもきれいな3代目のお宅が建っています。 |
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》 | (12) 福沢神社の木立が見えてきました。この辺りは昔は《福沢》でしょう。もっとも 今は福沢町ではなく 宮町4丁目なのだそうです。宮町の宮は東照宮。何かしっくりしませんね。 |
(13) 普段 何も気にせず前を通り過ぎていましたが、中に入ると、とても謎を秘めた重要な神社だと分かります。徳川家康の東照宮より歴史が深そう。 |
》 | (14) 梅田川沿いには、たとえば大梶のかじ・千刈田の刈田・福沢のふく など古代史のキーワードになる地名言葉が散らばっています。いずれも表向きの「稲作」の歴史ではなく、底を流れる「金属」の(武器や農具の)歴史ワード。(ちなみに刈田は蔵王刈田岳と同語源?) |
(15) 鳥居の右には 何と出羽三山の(山岳密教の)石碑が沢山並んでいます。古代史上で見え隠れする 金属関連事項です。 |
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(17) それに、この神社はまだ神道が権力に吸収されてゆく前の、日本古来の東西軸(東向き)なのです。探してもなかなか出会えません。(歩いた範囲では もう一つ、愛子の諏訪神社が東向きでした。もっとも、向きについては多説あるので判断はおまかせします。) |
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(20) 古代史通には有名な、かの鉱脈王・蔵王大権現 ! 山形側でも白石側でも驚きの言い伝えがいっぱい。 |
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》 | (23) しばらくぶりに竹薮を見ました。昔は梅田川沿いのこのあたりでよく目にしました。 |
》 | (26) この青い「かざぐるま」さえ、蔵王のこけしに関連付けると不気味な話が思い浮かぶのですが、100%考え過ぎなのでやめましょう。でも 何とも意味ありげです。 |
(27) これは以前 北六番丁通にあった案内の碑でしょうか? そばにとても大きな桜がありました。 |
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(30) 新道に出ました。若いイチョウ。広い道路では まだバランスがとれません。 |
》 | (31) まだこの道路が出来る前のなつかしいスライドフィルムがたくさんあります。いずれデジタル化します。 |
》 | (33) イチョウは公害に強いのだそうです。でも すぐに電線が邪魔になりそう。 |
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