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この「散歩」のページは、 写真が大判なので パソコン画面向きに 編集してあります。 新掲載しました! 「その10、かくれ里」 |
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散歩 学区の樹木めぐり その8【上杉と梅田町】PC版 10〜11月中旬 (蝉林館 ぜんりんかん) 旧地名を付けました。一部は その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。 |
》 | (2) 北に曲がって梅田町。住宅地なので まだ大きな木には出会えません。 |
(3) この辺りは上杉6丁目。柿がたくさん実り 干し柿がつるされていたのに、はっきり写っていません。昔の地名は 《雷神中・なか》。 |
》 | (4) 附属小の北門を振り返って見たところ。北西にゆるくカーブしながら進むこの道路は 昔の軽便鉄道の軌道跡(高松編・写真1〜3を参照)です。 |
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(7) 南の 《北七番丁》 側に回りました。用務員さんから ていねいに挨拶されました。 |
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》 | (10) さらに東の門。右の門柱の上にも さっきの木がありました。昔の 《中杉通り》 を北上するとこの門の前に出ます。 |
》 | (12) 大きい木なのに樹形もなにもありません。ここは 昔の 《北七番丁》 と 《二本杉通り》 の角。北六番丁を走る市バスの停留所の名も、以前は西から東に向かって 上杉通り〜中杉通り〜二本杉通り〜北六小前 でした。 |
(13) 西側の上杉通りに出ました。この通りは以前は もっともっと狭かったのです。 |
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(15) ちなみにここはNHK。南からだんだん拡張されてきて この角の北一番丁通りにぶつかり、ここから北が狭かったのもそんなに昔ではありません。 |
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(17) この前の通りを拡張している時のスライドをたくさん保存しています。後日デジタルにします。上杉セイユーの西にある 「ふたまたイチョウ」 の昔の姿も写っています。 |
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蝉林舎は公園の隣りなので 長年 落葉公害に苦慮して来ました。公園に限らず街路樹などの多量の落葉に困っている人も沢山いるでしょう。木は立っている姿では気がつきませんが、切り落として積み重なった枝葉を目にすると、その圧倒的な(!)量に驚かされます。木枯らしに吹かれて 屋根に積もってしまう南側のお宅では、それこそ家そのものが腐ってしまうこともあります。いずれ落葉公害のページを公開するかも知れません。 解決方法はただ一つ。中途半端な設計をしないこと。木を植えるのならば 脇役ではなく主役にすることです。木を真ん中に植えること。公園では 人間が脇役になることです。そして人間が そこだけは「お邪魔します」と言う気持ちで入って行くような環境にすること。もちろん日本では 初めはなじめないでしょう。 |
木が真ん中にあれば、落葉は除去する必要がありません。まるごと木の肥料になります。無残な姿に 樹形を切り詰める必要もありません。本来の姿の木になります。そして大きくなって堂々とした樹木に会いに行く場所が公園です。 運動場なのか公園なのか、はっきりさせて設計すること。遊具を置くのは良いのですが、その場に合った遊びを考えるのも子供の本来の仕事です。もちろんボールが蹴りたければ、場所をわきまえて その木々の間でボールを蹴れば良いだけのことです。 つぎの 上杉公園は なかなか良いところです。 |
》 | (20) 右隣の上杉公園は見事です。もちろん広いからですが、大木が数本 堂々と中央部に居座っています。 |
》 | (22) 地面は落葉でいっぱい。でも何もしなくてよいのです。しないほうがよい訳です。 |
(23) 木に敬意を払いながら ( 心の中で「お邪魔します」とでも言いながら ) 会いに行きたくなります。 |
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(25) サッカーが出来なければ 別なことをすれば良いだけ。その場に合った遊びを考え出すのが子供の仕事。 |
このページは ここまで。 作家、内海隆一郎の唯一の(?)児童書 「みんなの木かげ」 に、木を抱きしめて じっと命の音を聴き続ける 感動的な少年が出てきます。 植物を 共に現実に生きている生命体として捉える感性は、生きてゆく上でも 勉強を続けてゆく上でも、子供のうちにこそ目覚めさせるべきものです。「便利さ追求」一辺倒の プラグマティックな教育に埋もれてしまわないうちに・・・・・・ (下の写真は 1200×900PX) |
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