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「その10、かくれ里」
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散歩 学区の樹木めぐり その2【宮城野区 二の森】PC版 10月中旬(学習塾 蝉林舎 ぜんりんしゃ)
写真は 576×432pix と 1200×900pix 。
旧地名を付けました。それぞれ その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。

写真01
(1) 幸町から二の森への上り口。二十数年前、蝉林舎の校舎を建替えていた約半年、この辺りに本拠を移していました。この歯医者さんは 随分昔からありました。カメラが背にしている 七十七銀行がある所は 旧地名《土手内・どてうち》
 》 写真02
(2) 上ってすぐ、最初に出会った樹木・・・・?。ここからは、ずっと上まで 旧地名は《庚申前・こうしんまえ》。 ・・・・更新前は庚申前!  


写真03
(3) 初めの角を左に曲がったところ。 このあたりは 当時は畑。坂を登り 突き当たりのマンションのところは 小高いゲートボール場でした。夕方登ると 市内の夜景が綺麗でした。
 》 写真04
(4) 戻って 右の坂を登ると 林が見えて来ました。


写真05
(5) この辺りまで来ると 丘、と言うより ちょっとした山の様子で爽快。
 》 写真06
(6) からすの「ねぐら」。 カメラを構えているうちに ひと群が飛び去って行きました。 この もっと奥(東)が昔からの《二の森》なのだそうです。


写真07
(7) もう大分登ったので、振り返ると 市街が見渡せます。
 》 写真08
(8) 登りきった突き当たり。 地名のもとになった「庚申塚(碑)」は この辺りに立っていたはずなのですが・・・・。 残念ながら見つけられません。


写真09
(9) さらに東の奥。建物を取壊した跡が数ヶ所ありました。言ってみれば 二の森山(?)の頂上。この向こうは「与平沼」の崖のはず。・・・ひょっとすると この大きな石が「庚申塚(碑)」の土台だったのかな。
 》 写真10
(10) 西に曲がると 一番高い一帯が整地されて 新しい家屋が並んでいました。右は「与平沼」の崖。この辺りは旧地名《新堤・しんつつみ》


写真11
(11) さらに 西へ。
 》 写真12
(12) さらに 西へ。ここで行き止まり。


写真13
(13) 振り返って 左側が 「与平沼」。
 》 写真14
(14) 13と同じ。


写真15
(15) 与平沼に降りてゆく坂。
 》 写真16
(16) ここからは「与平沼」の写真。


写真17
(17) 昔はここで それこそカッパ少年たちが泳いでいたそうです。
 》 写真18
(18) この周りは 旧地名《蟹沢・かにさわ》。 カッパは ザリガニを食べていたのでしょうか。 いつの日か、木の風景ではなく カッパさがしのページを作りたいものです。


写真19
(19) 「昭和四年」云々の文字があったはず。読めますか ?
 》 写真20
(20) それにしても 魚釣りの人がいませんね。地震のあと 水が無くなったそうですが、それで様子が変わったのでしょうか。


写真21
(21) そういえば 以前 ここに船(ボート)が浮かんでいたことがありました。
 》 写真22
(22) 東側(右側)の坂を越えると安養寺。この写真は6月に撮影。


写真23
(23)  枡江小学校は すぐ隣りでいいですね。 ところで小学校のある所を昔の資料で確認すると、どれも《枡井・ますい》となっています。??
 以前、与平沼のすぐ上の二の森から 元気な男の子が通っていました。
 ある日、坊主頭に なんと釣針が刺さって取れなくなり、病院を廻り、大きな絆創膏(?)を貼って塾にやってきました。
 あの子はきっと 与平沼で釣り上げられた「カッパ」だったのでしょう。


 さすがに 二の森は地名のとおり 森がいっぱい。

 与平沼には 悲しい話もたくさんあるようですが・・・・・・。





↓ 付録は1200×900pix版2枚。上が 写真(12)と同じ場所。下が 「与平沼」です。


写真24



写真25


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