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「その10、かくれ里」
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散歩 学区の樹木めぐり その1 【宮城野区 幸町】PC版 10月初旬 (学習塾 蝉林舎 ぜんりんしゃ)
写真は 576×432pix と 1200×900pix 。
旧地名を付けました。それぞれ その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。


写真01
(1) 高松1丁目の踏切りを渡ったところ。ここはまだ青葉区。右の「まくら木」の柵がなつかしい! カメラが背にしている小松島1丁目は 旧地名《楢木下・ならのきした》。画面左手は《田中堀・たなかぼり》
 》 写真02
(2) 宮城野区に入って、遊歩道の入口。そう遠くない昔、このあたりは「たんぼ」が広がり 市内にはめずらしい風景でした。遊歩道の北側(左)は《千刈田・せんがりた》、南は《午房江・ごぼうえ》


写真03
(3) 幸町2丁目の遊歩道を東へ進みます。
 》 写真04
(4) 遊歩道というのは 昔の「たんぼ」の水路跡でしょう。


写真05
(5) 落葉の季節は 皆さん大変でしょう。これくらいの木でも かなりの量になります。
 》 写真06
(6) 落葉は、屋根の上 特に雨樋に積もるのが本当に困ります。屋根が湿らないよう 手入れが大変です。北風に乗って 南側の家に多く積もります。


写真07
(7) 左手に 幸町中央集会所が見えます。
 》 写真08
(8) 集会所の手前のけやきが見事。最下欄に大判の写真を載せました。


写真09
(9) 右手が 先ほど通り越した集会所。カメラが立っているのは《上八合・かみはちごう》
 》 写真10
(10) 1丁目に戻って、ここは幸町中学校の校庭。学校の東半分は《沼田》、西は《雷神前・らいじんまえ》


写真11
(11) 中学校の正門。当然 桜の木でしょう。
 》 写真12
(12) 昔の名残の風景。何の畑でしょうか。


写真13
(13) 向こうに見えるのは「二の森」の森 !
 》 写真14
(14) 北側《二本松上・かみ》から幸町3丁目に入って、公団住宅を南下。


写真15
(15) 21の写真まで 公団住宅の敷地内です。
 》 写真16
(16) 敷地内の樹木。この辺りは旧《中八合〜上八合》の一角。


写真17
(17) 敷地内の木々は 住民の方々も管理・清掃されるのでしょうか。
 》 写真18
(18) 公団住宅の敷地内。


写真19
(19) 公団住宅の敷地内。
 》 写真20
(20) 公団住宅の敷地内。


写真21
(21) ここまで 公団住宅の敷地内です。・・・・落葉も凄いでしょうね。
 》 写真22
(22) このあたりが一面の「たんぼ」だったころ、草に覆われたこの水路は まるで 「ずんだ餅」 の緑のあんこで作ったような とてもきれいな堀でした。
 この堀を含む南側は《櫑木原》。ほとんどが工場でした。 読みは《たらきばら》と記憶していますが、違っていたら教えて下さい。


写真23
(23) 中江の踏切りを渡って青葉区に戻ります。ここから右に(東に)貨物列車専用の線路が分岐して、現在の幸町南小学校の南端を通り、専売公社工場まで通じていました。この写真のカーブ外側の遊歩道は その線路あとです。東北地方のたばこは 皆ここから出荷されていたと言われるほどの大工場でした。
 画面左手は《中江東区》。右が《午房江》。カメラが背にしている今の大梶の西半分は《栗木町・くりきちょう》
これでおしまい。続きは後日。

幸町については 懐かしい話がいっぱいあります。

筆者・蝉おやじ が その昔 恐ろしい《人さらい》 に追いかけられた話なども。

・・・・そのうち追加します。






↓ 下の付録は、(8)の けやき を 1200×900pix 版で撮ったものです。


写真24


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