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「その10、かくれ里」
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散歩 学区の樹木めぐり その7【高松と小松島】PC版 11月中旬 (学習塾 蝉林舎 ぜんりんしゃ)
写真は 576×432pix と 1200×900pix 。
《旧地名》を付けました。それぞれ その前に 《仙台市原町小田原》 がつきます。


写真01
(1) 画面左側の宮町通りから右側の東照宮駅に向かう 梅田川を渡る橋。昔、ここは軽便・けいべん 《仙台鉄道》 の鉄橋だったのです。
 》 写真02
(2) そしてここ東照宮駅のガードは、その《仙台鉄道》と仙山線とが立体交差する地点でした。初めて知った人も多いでしょう。



そこで、軽便鉄道についての説明。
 地図帳で見ると、東京の都心めがけて東へ ほぼ一直線にJR中央線が走っています。これほど長くはないにしても、真直ぐ都心をめざす私鉄がいくつもあります。
 ( でも、どうして真直ぐなのでしょう ? )
 昔は 郊外は人があまり住んでいなかったので、効率よく敷設出来たのです。
 ( 人が少ないのに なぜ鉄道が必要だったのでしょう ? )
 人を運ぶと言うより、街に住む人に 高速・大量に物資を供給したのです。その主なものの一つは、何といっても日々生産される野菜などの生鮮食料でした。
 ( 郊外には 住む人が少なかったのですから、帰りの下り列車は 空っぽで走らせたのでしょうか ? )
 実は帰りの貨車も、他の物資とともに、野菜を育てるために絶対必要な肥料、これもまた日々生産される 「unchi」 を載せて帰ったのだそうです。

 学校で習う「炭素の循環」もさることながら、こうして もっと基本的な「窒素の循環」(生命体を造るタンパク質の素の循環)が成立していたのです。
 物資の高速大量輸送が主な目的なので、今のような快適な旅客車両は必要ありません。それで創成期には 今よりレール間隔が狭く(したがって車体も小さい) 敷設も保守もしやすい「軽便鉄道」が造られたのです。

 仙台の軽便 《仙台鉄道》 と 「肥料」 の関係は詳しく分かりません。
 街なかの北仙台付近から東へ進み(上杉編の写真4を参照)、宮町通りを横切り、梅田川を越え、ここ東照宮で仙山線と立体交差して急カーブし、吉岡・中新田方面へと日々物資を載せて 活発に行き来していたのです。ちなみに 軽便の東照宮駅は宮町通りの西側角。ホームは線路の北側だったようです。



写真03
(3) そしてこの、小松島小学校の西側の小道こそ 進路を北に変えた軽便が 一路 中新田に向かう軌道だったのです。
 》 写真04
(4) ここまでは 旧地名 《宝蔵院・ほうぞういん》《楢木下・ならのきした》。 途中 きれいな植込みのお宅がありました。


写真05
(5) 小松島小の南を通り、すぐその角を左に折れます。
 》 写真06
(6) 画面左の小学校は旧地名 《露無・つゆなし》。 右手が 《雷神》。やがて 急な坂を登ると両側とも 《高松上・かみ》


写真07
(7) 道路右側の万寿寺。この辺りの歴史の話には、何度もこのお寺の名が出てきます。
 》 写真08
(8) なかなか立派なお寺です。この先も右側は墓地。


写真09
(9) 右へカーブする外側の角のきれいなお宅。実は蝉林舎が出来た時、こちらから沢山の植木を頂戴しました。開塾を祝って、はるばる運んで植えて下さいました。
 》 写真10
(10) 広いお屋敷で 植木がいっぱい。


写真11
(11) 右(東)へ曲がってしばらく歩いたところ。ずうっと上は与平沼の森。
 》 写真12
(12) このあたりは旧地名 《新堤・しんつつみ》 か。カメラが背にしているのは一段下の 《高松》。 一帯は 見るからに暖かそうな南向きの斜面。



ここで、「いちご園」の説明。
 いちごが嫌いな人はいませんよね。
 いちごに限らず 果物の栽培に向くのはやはり南の斜面。近くは山形や福島の盆地、遠くは紀伊半島や四国、どこでもそうです。

 《高松》 も絶好の南の斜面。 蝉林舎から 真正面の高松の方向に、昔は (高い建物が無かったので) 遠く 「いちご園」 が望めたそうです。いちご園ではお客さんが実を摘み、その場でお砂糖と牛乳をかけて食べたのだそうです。

 もちろん今はありませんが、そんな辺りを歩きました。一帯が いちご畑だったのかも知れません。

 ちなみに、今のようなプラスチックのケースは無かったので、果物屋さんではみな 板で作った箱に詰めていました。いちご用は大きめの弁当箱といった感じの 平べったい箱でした。使い終わった箱板は 風呂や台所で燃料にし、工作にも使ったことがあります。



写真13
(13) 前の写真の場所をさらに登った所。
 》 写真14
(14) 一段下の 《高松》 に見事な竹林がありました。 


写真15
(15) 近くに寄ってみると、風が吹くたびに カタコトカタコト良い音が響きます。竹で作った 「けん玉」 を 「チャカボコ」 と言うのをしってますか? そのチャカボコのような楽しい音色です。
 》 写真16
(16) ここからずうっと上まで南向きの斜面が続きます。蝉林舎から 遥かに見えたという 「いちご園」 はこのあたりだったのでしょうか。


写真17
(17) 東の 二の森に向かって歩きながら、左手の 《新堤》 へ登る道を見上げます。
 》 写真18
(18) 次の登り道。


写真19
(19) さらに次の登り道。
 》 写真20
(20) お庭の木が見事です。


写真21
(21) 近寄ってみました。丸刈りになって 冬支度も済んだようです。
 》  北仙台から 台原を経て、高松、さらに二の森へと続くこの丘陵地帯は、いつ見ても どこを見上げても、暖かそうで懐かしさを感じます。

 そもそも連続している地形なのかどうか。下の梅田川と並行しているだけに、どんな成り立ちなのか とても気になります。

 いつか調べてみたいものです。




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